自己紹介

 

西垣 紘 (1987年4月29日生まれ) 兵庫県西宮市在住

 

NPCJ Men’s physique in Osaka 6位

INBA Men’s fitness in Sydney 優勝

 

 

(職歴)

携帯電話の販売員

経営コンサルタント、研修講師

インストラクター(オリジナル自重トレーニング、アクアビクス、ストレッチ)

パーソナルトレーナー

 

(経歴)

近畿大学理工学部社会環境工学科卒業

バックパッカーとして海外を遊び場にする

コンサルタント、講師、インストラクター、パーソナルトレーナーとして働く

オーストラリアに移住する

オーストラリアで優勝を機に帰国し、フィットネスの楽しさを日本で伝える

 

 

 

トレーニングを始めたきっかけ

 

大学生時代、そして卒業してからバックパッカーとして世界中を旅してきました。

数十カ国旅をすると、海外の生活スタイルや考え方が染み込み、いつも自分の周りには自由きままなバックパッカーばかりで、当時の僕は何も考えず、毎日自由きままに暮らしていました。

 

しかし、大学を卒業すると周りのみんなはどんどん就職していき、自由にしてる僕が少し浮いた存在になってきました。

特に周りの事を気にしないマイペースな僕は、海外にまた行こうかと計画していました。

さすがに、みんなが僕の将来のことを心配してくれて、僕は嫌々でしたが、さすがに就職することにしましたw

 

そして、経営コンサルタント、販売員育成講師として働きましたが、その時は寝る時間もとれないくらい忙しく、これまで海外でのんびり暮らしていたライフスタイルと全然違うこともあり、心身共にボロボロになってしまいました。

しかも、当時は出張が多く、外食が多くなり、さらに運動なんか全然してませんでした。

そんなストレスフルな生活を送っていたせいか、海外にいた頃はほとんどなかったのですが、文句や愚痴、ネガティブな発言ばかりしている自分に驚いたことを今でも覚えています。

 

そのまま、自分の体調や心を無視して働き続けた結果、僕はついに体に異変を感じるようになりました。

 

毎朝、熱があり、顔が腫れていて目があまり開かず、何もしていないのに涙がこぼれてきたり、ときには鼻血がいきなり出るなんて事もありました。すべてを悲観的に捉えていた記憶があります。

そして、毎日謎の恐怖心に襲われて、本当に苦しい毎日でした。

 

当時は、何のために生きているのかさえ分からなくなっていました。

このままではいけないと思い、健康の代名詞であるフィットネスクラブに入会しました。

 

 

 

 

フィットネスとの出会い

 

ジムに入会するも何をしたらいいのか分からず、休みの日はジムに行き、1時間ほどトレーニングマシンで時間をつぶし、サウナに入って帰っていました。

何かから逃げるかのように、必死にフィットネスについて勉強しました。

勉強の合間にyoutubeで海外フィットネスについて検索をして、ヒットしたのがsteve cookでした。

steve cookは今は有名フィットネスyoutuberとして活動しています。

当時はボディービルの大会にも出ており、見た目はスタイリッシュでイケメン。

ボディービルのイメージはぶりんぶりんの男気あふれる黒いマッチョで、当時の僕はあまりボディービルに興味はなかったのですがsteve cookが僕の中の筋トレ、ボディービルの常識をがらりと変えてくれました。

 

そして、そのころ海外でメンズフィジーク(サーフパンツで海が似合う体がコンセプト)という、新しいボディービルのカテゴリーが生まれました。

当時、英語が多少分かったので、マッチョで男前で、さらにポジティブで意識の高いsteve cookにくぎ付けになり、毎日youtubeを見て体作り、栄養学、メンタルについて研究しました。

そして、僕は少しづつ変化していくのでした。

 

 

大会に挑戦

 

体が少しづつ変化していく楽しさに魅了され、ジムに通う頻度も多くなりました。

そして、当時付き合っていた彼女にベストボディージャパンという大会がある事を聞きました。

もともと人前に出ることが苦手だった僕は、人前で裸になるなんて到底できるはずがないと、ためらいもなく大会の事を全否定しました。

そんな僕が今では、大会に出て優勝し、youtubeも始め、SNSで鍛えた体を披露するという進化をとげましたw

 

そして、その夏に俳優の金子賢さんが大会を開くという事を聞きました。

ホームページを見たら、そのコンセプト(夏が一番似合う)に心動かされ、気づいた時にはエントリーしていました。

そして初めての減量を経験しました。

 

体重は、3カ月で約20キロ落としました。
結果は予選落ち。負けず嫌いな僕は大会というものに、どんどんのめりこんでいきました。
その年、ベストボディージャパンにも挑戦しましたが、結果はまたしても予選落ち。

 

 

悩み、そして成長

 

大会に負け、悔しくて会場の外で泣いたのを覚えています。

次の大会まで1年はある。ゆっくりと準備をして、次こそは勝つ!

そう思えるまで3カ月ほどかかりました…

 

大人になってから、戦いに挑むことがあまりなかったので、こんなに悔しい思いをするとは思ってもいませんでした。

そして、同時に自分の未熟さにも気づかされました。

体だけでなくメンタルも強くする必要があると感じ、1年間トレーニング(メンタル含め)、食事管理はもちろん、トレーニング学や栄養学の知識を増やしました。

 

そして、敗戦から1年後、ベストボディージャパン京都大会、神戸大会に出場しました。

1年前の悔しさを晴らすべく…

 

しかし、無情にも予選落ちw

1年間準備をしたにもかかわらず負けた事が、本当に悔しかったです。

 

でも挑戦しないとそんな気持ちすら感じられない。

まだ生きている。来年こそは、勝ちに行く。

 

当時の僕は、そう自分に言い聞かせていました。

 

僕は1年前の負けた時と比べ、前向きになっていることに気が付きました。

そして、さらに1年後の2017年夏、ずっと出場したいと思っていたフィジーク(steve cookを知った時に見た大会のジャンル)

NPCJ Mens physique に出場しました。

 

結果は、6位。

 

3年間、大会に挑戦するも、一度も入賞することができず、僕は本当にセンスがないなと思いました。

悔しさよりも、虚しさが強く、何の為にトレーニングをしているのか?

何のために大会に挑戦し続けているのか?

もうトレーニングすら辞めてしまおうか?

そんな思いまでこみ上げてきました。

 

そして、もっとフィットネスと向き合ってみようと思い、自分とフィットネスについてじっくり考えました。

 

そしてフィットネスが、より自分の生活に必要不可欠なものだと思いました。

フィットネスは僕に、向上心、行動力、ポジティブ思考、幸福感、健康な体、steve cookとの出会い、
他にも数えきれないくらい大切なものを与えてくれました。

もっと、フィットネスの事を知りたいと思うようになり、世界のフィットネスカルチャーに触れたくてオーストラリアのゴールドコーストへ移住することに決めました。

オーストラリアでの生活、フィットネスカルチャー、たくさんの人との出会い、経験は言葉では表せないほど僕にとって大切な宝ものになりました。

 

 

 

 

ついに…

 

オーストラリアに滞在し10カ月が経つ頃、生活にも慣れ、自分のホームはここだな、と思うほど溶け込んでいました。

そして生活に慣れてきたころ、オーストラリアの大会にエントリーしました。

今まで感じたことがないくらい、大会に出場するのが楽しみだったのを覚えています。

 

 

大会出場の奮闘記(詳しくはブログに書いてあるので、是非そちらをご覧ください。)

 

 

大会結果は優勝。

 

この数年間の悔しさや、奥さんや友達、そして親にもたくさん迷惑をかけた事が走馬灯のようによみがえり、

諦めなくて本当に良かった、そして、今まで本当にありがとうと心の底から思いました。

これから先も大変な事、うまくいかないこともたくさんあると思うけど、ゆっくりでもいいからすべて前向きに問題と戦って乗り越えていこうと思いました。

 

 

 

帰国

 

オーストラリアでは、たくさんの友達ができ、たくさんの思い出ができました。

考え方や価値観も大きく変わりました。

僕にとってのアナザースカイは絶対にオーストラリアのゴールドコーストです。

 

そしてフィットネスは人のことを大きく大きく、良い方向に変えてくれる力があると思います。

その大好きなフィットネスの良さを一人でも多くの人に伝えたい!

最適な方法で楽しく、そして楽に結果を出してもらい、理想の体を手に入れて、皆様にとって大切なものが何か手に入ればいいなと思い、パーソナルトレーナーとして日本で活動することに決めました。

 

体作りにはコツがあります。

そのコツは、ネットには載っていない、たくさんの経験や知識、自身で実践してきているからこそ分かるもので、そのコツは人それぞれ違います。

知識や方法だけでなく、一人一人、大切な仲間として親身になり、お客様が楽しく目標を達成できるよう、お客様に最適な方法をご提案し、全力でサポートしたいといつも思っています。

そして、会うだけで元気になれるパーソナルトレーナーを目指します。

 

 

 

パーソナルトレーナー   西垣 紘

 

パーソナルトレーナーになるまでの僕の歴史