サラリーマンを辞めて、自由なフリーランスになるまでの僕の物語。

サラリーマンを辞めて、自由なフリーランスになるまでの僕の物語。

こんにちは。

阪神甲子園駅から歩いて5分の所にある、隠れ家的パーソナルトレーニングジム fitness mate のトレーナーのヒロです。

 

この記事を書いている時はちょうど真夏で、今は暑くて汗だくで、苦手なパソコンとにらめっこしています笑

いつかパソコンで、ちゃちゃちゃーーって入力できることを夢見ながら、今日もBACK SPACEキーを使いまくっています。

 

このブログは、海外を旅して自由思考になったはずの僕が、日本で就職してサラリーマンになった事で病み、そこから、

もがきながらも好きなこと(筋トレ)を見つけ、何年間も筋肉を披露する大会で負け続け、変化を求めるべく30歳の時にオーストラリアに1年間住み、オーストラリアのフィットネスモデルの大会で優勝し、優勝後に帰国して日本でフリーランス(パーソナルトレーナー、オンラインコーチ)として生活を一変させたお話をしたいなと思います。

 

 

パソコンが苦手で、書き方も全く分からいので下手なブログですが最後までお付き合いしていただけると嬉しいです。

 

※注意!!今回の記事は、トレーニングや食事管理、ダイエット情報は一切出てきません!

 

 

 

フリーランスになる前は…

 

 

僕は、本格的にトレーニングを始める前は喫煙者でした。(ラーククラッシク、1日約1箱半)
そして好きな食べ物は、ジャンクフードとポテチとコーラ好きな事はタバコを吸う事とギャンブル苦手な事は、新しいことに挑戦する事と何の為にあるのか分からないルールに縛られることでした。

 

 

当時の僕はわさビーフ(ポテトチップス)が大好きで、仕事終わりにわさビーフ2袋とコーラとコーヒーとチョコを買い、わさビーフとコーラとタバコの組み合わせで映画やハンターハンターを見る事が一番幸せな時間でした。

 

その幸せな時間にひたりつつ、次はチョコとコーヒーとタバコの組み合わせで、海外ドラマを見る事が仕事の疲れを癒す習慣になっていました。

 

 

他にも習慣がありました。

 

それは、ギャンブルでした。

 

パチンコやスロットに、休みの日だけではなく、出張先でもお金がなくなるまでパチンコに行ってました。

 

海外を旅していた時に身に着けた能力(お金があったらお金がある暮らしをし、お金がなかったら無かったでちゃんと生活ができる能力…w)が生かされてました。(良くも悪くも…w)

 

 

ただ、このような過去の習慣が悪い事だと思った事はありませんが、今は、その過去の習慣を忘れるほど楽しくて幸せな時間の使い方を見つけてしまいました。

 

当時の僕は毎日、愚痴を言いながら仕事先に向かい、仕事から帰っては一人で、

 

毎日、同じことの繰り返しやな。いったい、何の意味があんねん…

 

と捨て台詞を呟くことが日課でした。w

 

そして、ため息をつきながら、

 

あーー何か、こうー、違うことがしたいねんなーー!!海外行ったり、仕事にやりがいがあったり、好きなことを仕事にするとかさーー。分からんけど…

 

仕事もあって生活は安定し友達とも遊んで、特にそこまで不満はなかったものの、どこか物足りなさや、なんか違うんだよなーって、毎日そう思っていました。

 

そして、いつも、次の休みの日を楽しみに我慢して生きていました。

 

休日までのカウントダウンをしては、休みの前の日は休みみたいなもんって言っては自分に活を入れて仕事をこなしていました。

 

 

変化

 

 

そんな毎日に嫌気がさし、何か変わってやんぞ!!変えてやんぞ!!そう、日に日に思うようになりました。

しかし、そうは思ったものの変わる方法が分からず、結局、毎日同じ事の繰り返しでした。笑

 

サラリーマンだった僕は、テレビで特集されているスポーツ選手や俳優、職人など、何か一つの事に夢中になり、それを仕事にしている人のように、何か大切な一つを見つけて打ち込めるようになりたい。

それで生活できるようになれたらいいなと、思っていました。

 

ただ、そこまで打ち込めるものも、好きな事も特に何もなかった僕はただただ、羨むだけでした。

 

ギャンブルと海外ドラマを見る事は好きでしたが、それを仕事にしたいとはあまり思えませんでした。そして、当時の僕にはそれらが仕事になる事とすら知らなかったのです

 

 

探す

 

 

僕は、自分の能力や知識や経験がないことを理由に何も始めようとしていない事に気づきました。

まずは、自分の事をしっかりと知る必要があると思いました。

そこで、自分のしたい事をリストアップしてみました。

 

これは、現実的じゃないものも含め、もしなんでも願いが叶うとしたらというベースで作りました

 

そこで書いたリストを眺めながら、そのやりたいことをどうやったら叶えられるのかを毎日、時間があれば考えていました。(仕事中も…w)

そのリストを改めて見ると、書いた当初はウキウキして楽しかったけど、見れば見るほど、げんなりしていました。

 

なぜなら、当時の僕には、どうやっても叶えられる気がしなかったからです。笑

 

仕事があるから、時間がないから、お金がないから、どうせやったって才能がないから…

 

ただ、いきなり全部を叶えることはできないけれど、時間をかけて自分をどんどん成長させれば、こんなリスト簡単に叶えれるはず!と言い聞かせ、僕は本当に何がしたいのかを模索しました。

 

 

このリストを毎日眺めていたら、大切なキーワードが見えてきました。

僕は理系出身なので、やたら答えを求めたがります。笑

この時、リストの夢を叶えるために必要なカテゴリーを大きく分けました。

 

 

『 お金で叶う 』

『 考え方で叶う 』

『 行動で叶う 』

『 探す事で叶う 』

『 時間で叶う 』

 

 

こうやってカッコつけて書きましたが、僕の願いは、だいたいお金で解決できるものでした。笑

この時、少し自分に失望しました。笑

ただ、ここで新たに見えてきたことは、そのお金をどう稼ぎたいかです。

 

お金を稼ぐなら、裕福な国日本なら、仕事を選ばなかったら方法はたくさんあります。

 

僕が次に考えたのは、将来どうやってお金を稼げるようになりたいかでした。

ここで、見えたことは、好きなことを仕事にして、それでほしいものを手に入れる事。でした。

 

 

自分探し

 

 

さっきも言った通り、好きなこともやりたいことも何もありませんでした。

大学卒業後には就活もせず海外に行ったので、自己分析をした事がなかったので、自分が本当にやりたいことなんかについて、一切考えたことがありませんでした。

 

 

ただ、やりたい事をやりたいようにやるってのが僕のスタイルでした。(あまり今も変わってませんが…w)

しかし、当時の僕と違うのは、やらなくてはいけないこと、やるべきことが出来るようになった事です。

当時の僕は、やりたくない事はやらない、そしてやりたい事だけをやる。

 

だから、大学は留年したし、就活は大学生活で一度もしませんでしたw

 

そんな僕が海外を旅した後に就職をして働き始め、意味があるのか分からないルールの中(遅くまで残業、上司より先に帰らない、スーツを着る、飲み会には絶対参加、自分の気持ちを押し殺す…etc…もっとたくさん!!w)、まじめなふりして仕事をするようになりました。

 

この時、本当に毎日しんどくて心はどんどん病んでいってる事に気づきました。

 

 

何か変えたくて、仕事中はずっと仕事をするふりをして自分という生き物を知る為の時間に使っていました。

いつも、こう自問自答していました。

 

『おまえは本間に何がしたいん?本質を大切にしろ』

 

っと…

 

当時の仕事は出張が多かったので、仕事の休憩中は見知らぬ田舎道を散歩してみたり、目に映るもの全て自分がどう感じるのか、どう思うのかを心の中で考えていました。

 

 

今思えば、ちゃんと仕事しろや!って思いますが当時は、海外生活から帰って日本の社会にどっぷりつかり、このストレスだらけの自分の状態を何としてでも変えたい!と必死になっていました。

そんな毎日を過ごし、そこで見えたものは…

 

実は何もありません。笑

 

ただただ、散歩をよくする奴って同期に思われたくらいでしょうね。笑

ただ、ひとつだけ気づいた事がありました。

それは、ある時ドコモショップで流れたモンゴル800のPVを見て、きれいな海がある沖縄に行きたいなと感じた事です。

 

モンゴル800は中学生の時に流行って、それ以降はあまり聞いてなかったけど、沖縄出身だという事だけは知っていました。

それからだんだん、モンゴル800を聞くようになり、歌詞に共感するようになりました。

今では大好きなアーティストのうちの一組です。

 

そして、沖縄に行きたいと思ってから、速攻上司に確認し、休みを取って旅行を予約しました。

いざ出発やーー!!っと意気込んでいたら、旅行の直前になって休むのはダメだと言われ、仕事を入れられました。

僕は全力で拒否するも、当時勤めていた会社では覆ることはありませんでした。

 

その時、この会社はクソだなと本気で思いました。笑

 

正直に全部書いてますので、気を悪くした方がいたら申し訳ありません…

ただ、休みが取れなくてもいいが、僕に指示する上司が約束を簡単にやぶる事がどうしても許せませんでした。

しかも、仕事だからという理由だけで…(このあたりが海外を旅して変わってしまった思考ですw)

 

そして、その休みが取れなくなった1週間後に、その上司に仕事を辞めることを伝えました。笑

今となっては、あの時仕事を辞めて本当に良かったと思います!!

きっかけや勢いがないとなかなか会社を辞める事って難しいんだなっと思いました。

他にも仕事はいくらでもあるにも関わらず…

 

辞めると言ってから会社から引き留めが、嫌なくらい毎日ありましたが全部スルーで、辞める!!の一点張りでした。(当時の僕は負けず嫌いで、一度言ったことを変えるのがめっちゃ苦手でした)

約束を簡単に破る上司や会社と共に生きていこうとはいっさい思えませんでした。

その時の上司がこれを読んでいたら、本当にすいません。ただ、本音です。笑

 

良いか悪いかまったく分かりませんが、自分の事や生き方を考えるようになってからは、直感を大切にするようになりました。

 

そして、退職も無事に完了し、免許を持っていなかった僕は、自動車の免許を取りに行き、そして沖縄に向かいました。

 

 

綺麗な海。のんびりした生活。沖縄の全てがストレスだらけの僕の心を浄化してくれたのを今でも覚えています。

 

 

その頃の記憶や思い出もあって、僕は沖縄とモンパチが大好きです。

そして、その時沖縄で、何気なくオーストラリアに行きたいなーと言ったのを覚えています。

 

 

沖縄旅行も終わり夢のひと時から現実に戻った時、仕事もない僕は、正直焦っていました

当時はフリーランスをするなて一切思ってもいなかったので(できるなんて思ってもいませんでした)、仕事探しを始めると同時に、自分の好きなことや、やりたい事を探していました。

周りからは、我慢して働くことは普通やでと言われ続けましたが、なぜか納得できませんでした

 

そして、自由な考え方も身につけていなかったので、今思えば無職は最強で、仕事もないし好きに動けるんだから、沖縄に住むとか、海外に住むとか、いろいろワクワクする発想と行動ができると思うけど、当時の僕は全て自分には無理だと思っていました。(勇気がありませんでした)

 

好きに生きる。好きなことを見つけるのってこんなに難しいのかと悩まされる毎日でした。

 

探しても見つかるのは、失望ばかりでした。笑

 

もっと、〇〇を勉強していれば、もっと〇〇を続けていれば、もっと〇〇だったら…

 

そして、沖縄に住みたいなーとか、海外に住みたいなーとかを考えては、新しい事に挑戦するのが苦手な僕は、最終的に小さな小さなリスクを背負う勇気もでず、できない理由ばかり考えていました。

そして、僕は周りからは、仕事もしないで夢ばかり言うバカな奴という扱いをされるようになりました。

就職してる人たちと話す度にめっちゃ悔しい思いをしたし、そこで何もできていない自分がめっちゃ悔しかったのを覚えています。

 

そして仕事が見つかり、とりあえず生活の為に働いていました。

好きなことが何かも分からないまま、自問自答する毎日。また、この生活に戻ってきてしまった…と思いました。

ちなみにですが、その頃は健康維持のためにジムに週1~2回通っていました。

当時は、トレーニング方法もよく分からず、マシンに座り1時間ほど時間を潰し、トレーニング終わりにサウナに入り、缶コーヒーを買い、ジムの前でタバコを吸う事が一つの楽しみでした。

 

毎日、同じことの繰り返し。別に不満はないけど、何か足りない…

 

そして、自問自答から約1年。

“その時”は来ました。

 

2015年1月7日昼

 

正月休みで、完全にぐーたらモードで仕事へのやる気はほとんどゼロ。

やる事も特になく、お金もなかったのでパチンコにも行けず家でぼーっとしていました。

 

 

トイレに行きたくなったので、トイレに向かう途中でした。

何も考えていなかった脳みそに急に、ある言葉が思い浮かびました。

 

 

「本気でトレーニングをしてみろ」

 

 

自分の好きなことを探すのに疲れていた僕は、その頭の中に浮かんだ言葉を疑う事なく、とりあえずどんな事があっても3ヶ月だけ、本気で食事管理して、トレーニングしてみるか!!と決意しました。

 

新年の目標は3ヶ月、本気でトレーニングをする!!にその時決まりました。

そこから、トレーニングについて勉強し、トレーニングメニューを組み、食事管理を始めました。

 

独学で始めたため、間違った知識の元していたため、膝を痛めてしまい、次に肩を痛めて、肘も痛めました。

なぜか、こうゆう時にキーとなる人と出会います。

ニュージーランドでボディービルをしていたニュージーランド人と知り合い、トレーニングを教わる事になりました。

食事は、とりあえず当時聞いた情報によると、鶏むね肉とブロッコリーとごはんが良いと言ってたので、減量とか増量とか意味が分からないけど、そればかり食べていました。

 

 

案の定、3日で嫌になりましたw

ただ、今回は3カ月は絶対に継続させると決めたので、嫌でも続けてみる事にしました。

 

 

「どんな事があっても3ヶ月だけは続けてやる!!」

 

 

その時の僕は、がむしゃらでした。

続ける理由も、やる意味も何もないが、もしかしたら終わったら何か見えるかもしれないという思いで頑張りました。

(当時書いたノートw)

 

そして、1カ月ほどしたころ、体つきが少しづつ変わってきました。特に人に見せたいとか自慢したいとかそういう思いはまったくなく、当時は真冬なので、お風呂場で自分の体を見て、体ってやれば変わるんだなーっと思ったくらいでした。

 

そして、当時付き合っていた彼女とUSJに行った帰り道の電車で、彼女の知り合いがベストボディージャパンに出たという話を聞きました。

ベストボディージャパンとはボディービルの派生で、サーフパンツ姿で体の美しさを競うものです。

「出てみたら?」っと言われたけど、シャイだった僕は、人前で自分の体を自慢するようなことは絶対に嫌やっと断ったのを覚えています。

 

そして、家に帰って一人で天井を見上げながら、また自分の事を考えていました。

 

 

今までの僕と違う行動をとらないと、現状を変えることはできないんじゃないか?そんな思いと、

でも違う行動をとりたくない!という思いが僕の中で戦っているのを横目に、たばこに火をつけました。

数日後、嫌だけどこれは何かの縁だ。出てやる!なんなら優勝してやる!っと宣言しました。

 

新しいことに挑戦することで、なにか見えてくるかもしれない!

 

そして、僕は初めて減量をしました。

減量を始めだして、インターネットで大会の事を調べる機会が増えました。

そして、タレントの金子賢さんが大会を開催するという事で、第一回サマースタイルアワードにエントリーしました。

 

そして結果は、ベストボディージャパン、サマースタイルアワード、共に予選落ち

 

悔しくて会場を出た瞬間に、友達と彼女の前で泣いたのを覚えています。

この時の涙と悔しさが、僕のこの後の人生を大きく変えるとは、その時は知る由もありませんでした。

 

 

挑戦

 

 

そして、大会で優勝することがやりたいことリストに加わりました。

優勝するために、食事管理方法、トレーニング方法、メンタルトレーニングを学び始めました。

フィットネスをもっと知るために、仕事を辞め、ジムでインストラクターとして働き始めました。

 

サラリーマン時代に比べて、給料は格段に下がりました。

 

しかし、なぜかサラリーマン時代と比べると、明るい未来が待ってる気がしました。

 

 

そして、敗戦から1年後。

この1年間、やれることは全力でやってきた。

負けても悔いはない。そうゆう気持ちの中、大会に挑みました。

ベストボディージャパン京都大会、神戸大会。

 

結果は…

 

共に予選落ち。

 

正直、めちゃくちゃ悔しかったです。笑

1年間、その日のに照準を合わせてきました。

周りにもたくさん、数えきれないくらいたくさん迷惑をかけてきました。(なれない減量でストレスがすごくて、八つ当たりを良くしてました)

 

不器用な僕に、ここで優勝や入賞などの有終の美を飾ることはできませんでした。w

 

ここら辺で優勝して華々しい人生をスタート!!みたいな記事だったらよかったのですが…笑

 

大会終了後、自分のしている事が馬鹿らしくなり、やりたいことリストを捨てました。

 

 

進化か退化か

 

 

そして、僕は仕事を辞め、フィットネス業界から離れました。

理由は分からないのですが、ただただ離れたかったからです。

サラリーマンとして働き始めたと同時に、当時していたパーソナルトレーニングやオンラインコーチングを全てリセットすることにしました。

 

ジムに通うことすら辞めようと思いました。

 

その時、初めて気づいたのですが、ジムを辞めたくても絶対に辞められませんでした

 

それは、サラリーマン時代みたいに上司に引きとめられるわけでもなく、周りに引きとめられるわけもなく、自分で自分を引きとめていたのです。

理由は明確でした。

 

好きなものが見つかっていたのだ

 

そして、フィットネス業界を辞めたにも関わらず、こんな僕を頼ってくれるお客様がいました。

ジムを退会することはもちろんできず、週に5日間通い、食事管理も継続し、何かを目指すとかではなく、この時、トレーニングが生活の一部に加わったのです。

 

トレーニングを始めたきっかけは、何かを変えたくて始めました。

トレーニングを続ける理由は、大会で優勝するためでした。

 

しかし、この時トレーニングが好きなことに気づいいてからは、トレーニングをする理由が、

 

ただ、好きだから。

 

に変わりました。

 

昔から運動は好きでしたが、筋トレは別に好きでもなく、マッチョになりたいとかモテたいという願望すらありませんでした。

ただ、こんな形で好きなものが見つかることもあるのか。と思いました。

初めは好きっていう感情はまったくなかったけど、本気でフィットネスと向き合って戦ってきた時間が、フィットネスを好きになる時間だったとは思いもしませんでした。

 

そして、敗戦からさらに1年が経ちました…

 

 

成長

 

 

 

NPCJ Mens physique にエントリーしました。

もちろん、全力で大会に挑み、減量もトレーニングも全力でし、優勝を目指してきました。

しかし、前回までと違うのは、負けても本当に後悔はないなと心の底から思っていた事です。

考え方は人それぞれですが、こうやって結果を全然だせない事でたくさんの事を学び、自分のレベルを受け入れる。

 

足を止めることさえやめなければ、後悔は絶対にないと気づきました。

 

そして、大会の結果は6位でした。

むしろ、清々しかったのを覚えています。

 

失敗や、敗北は、とても辛く、自分をたくさん責めてしまうかもしれません。

時には人と比べて、早くから結果が出ている人を見て羨ましく思い、嫉妬し嫉むこともあるかもしれません。

しかし、今となって思うのは失敗の数だけ人は必ず成長する。必ず。

 

お金や名声などは、もしかしたら早くに結果を出した人のほうが多いかもしれません。

しかし、一番大切なことは成長した自分だと思います。

数年前と比べると今の僕は、ちょっとやそっとの事ではくじけない人間に変わりました。

 

そして、辛いこと、嫌な事、うまくいかない事があっても、歩みを止めることもなく、問題が起これば、解決方法を探そうとするポジティブ思考に変わってきています。

最近、新しく出会った人達からはポジティブだねと言われますが、僕自身が数年前の自分を知っているので、言われるたびに違和感を覚えます。

 

僕は、スーパーネガティブだったからだ。

 

ただ、ネガティブから成長しただけなんだと。

 

 

実行

 

 

僕は、もっと自分の好きなフィットネスを知りたかった。

もっと世界中のフィットネスカルチャーを体験したいと思った。

ふと、沖縄にいた時のことを思い出しました。

 

僕は海が大好きだ。

 

これも、この数年間で気づいた事だった。

だから、海が綺麗で、すぐにビーチがあって、フィットネスが盛んな国に行こうと思い、オーストラリアのゴールドコーストに行くことを決めました。

 

結局、1年間オーストラリアに滞在して、オーストラリアの大会に出場し、そして優勝することができました。

 

 

詳しくは、オーストラリアの大会日記をご覧ください

 

あんなに欲しかった優勝ですが、ここまでの成長の方が僕にとってはとても大きく、ここまでの成長が形になったことが、本当に嬉しかったのを覚えています。(僕にもできるんだと…)

だから、友達に優勝すげーなーとかを言われますが、本音を言うと、ここまでの成長をほめてもらいたいです。笑

 

オーストラリアでの生活は刺激的な毎日で、考え方や価値観を大きく変えてくれました。

 

 

オーストラリアの事は機会があれば記事にしたいと思います。

日本に帰国する前に、バリ島で1カ月生活し、日本に戻ってきました。

バリ島の事も機会があれば記事にしたいと思います。

 

日本を飛び出して1年と1カ月。

この1年と1カ月は本当に大切で貴重な時間になりました。

色んな国の人と出会い、色んな国の文化について聞き、色んな人の考え方を学び、日本では絶対にできない経験ができました。

 

時には差別を受けたり、日本を好きになってもらったり、みんなとの出会いや別れや経験が、僕をさらに成長させてくれました。

ついでに英語の能力も伸びました。笑

あっ、ついでに優勝もできました。笑

 

もしかしたら、オーストラリアで出会った人達の中には、今後一生会えない人達もいると思います。

こんな風に深く思えるのは、みんな帰る国が違うからだと思います。

一期一会ってこんな感じなのかな?っと思いました。

 

この時、僕の中に新しい想いが芽生えました。

 

 

人として

 

 

そして、僕は今までは喋るのは仲の良い人達だけでいいと、ずっと思っていました。

 

裏切られたり、嫌われたり、嫌ったり。

 

そんな事が増えるのが嫌だったからだと思います。自分の事はなるべく隠していました。

だから、仕事先でも、うすっぺらい話で場をつないだり、苦手な人がいたら話しかけなかったり、常に相手重視のコミュニケーションをしていました。

上司には、上司として接して、お客様はお客様として、一線を置いてました。

 

でも、今は全く違います。

 

良いか悪いのかは全く分かりませんが、相手が店員さんだろうが、金持ちだろうが、家がない人だろうが、犯罪に手を染めてしまった人だろうが関係なく人としてジャッジなく話せるようになりました。

知らない人にも話しかけ、話が盛り上がればそのまま仲良くなり、人といるのが本当に楽しくなりました。

仲良くなれなかった人ももちろんいますが!笑

 

そして、今ではタバコもギャンブルも辞め、人と出会い、お互いの話をし、あわよくば何かを学ぼうとすることが本当に楽しいです。

 

 

そして

 

 

今は、パーソナルトレーニングジム fitness mate のオーナー兼トレーナーとして働いています。

毎日が楽しくて、少しずつ仕事もお客様も増えてきて、少しづつ自分のビジネスも成長していることを実感しています。

fitness mateも生きているんだなーと、思います。

 

そして、一つ言えることは、やりたいことがある人は絶対にやるべきです。

 

やらないと見えない景色はいっぱいあります。

 

思っていた通りにならず、失敗だらけになるかもしれません。

 

やってみたら、思っていたのと全然違うかもしれません。

 

でも、その状況を乗り切る事で必ず成長すると思います

失敗するのが怖いとか、将来が不安だとかは、失敗するたびに成長し、乗り越える力が手に入ると思います。

その力さえ手に入れば、正直どんなことでも乗り越えられます。

 

そして、今感じている不安や恐怖を感じなくなる日が、いつかきます。

でも、挑戦しなければきっと、その不安や恐怖は、一生襲ってくると思います。(諦めない限り)

 

長くなりましたが、僕がフリーランスになるまでの数年間を記事にしてみました。

 

こんなパターンもあるのかーっと思っていただければと思い記事にしました!!

 

考え方ひとつで世界は変わる。

 

さて、ブログも書き終わったので、そろそろジムに向かいます!!笑

 

最後までご覧いただき、ありがとうございます!!